ヌエバ カンシオン

アルゼンチンのメルセデス・ソーサがなくなった。

 

ソーサは、チリのビクトル・ハラらと同じ時代に南米でヌエバ カンシオンというスペイン語で新しい歌を意味する、もともとの先住民の音楽をベースとした音楽を作ってた。

 

ヌエバ カンシオンは1970年代南米チリやアルゼンチンを中心に起こった音楽運動で、当時の政治的な動きと連動している。

 

当時どの国も貧しく貧富の差も拡大し社会的にこれを改良しようと言ういろんな動きが起こっていた。
その一つがヌエバ カンシオンだ。

 

例えばチリのビクトル・ハラはチリに民主的に選挙を経て社会主義政権を樹立したアジェンデ政権を支持していたため、ビノチェトらの軍事クーデターにより野球場に強制収容され、一説によると最後はギターを弾かせないようにするため銃弾で手を撃たれて死んだ。

 

それほど、この歌の運動の影響は大きかったのだろう。

 

しかし、どんな暴力で塞いでも歌はどこからか人と人のを間を、国と国の間を超えて「歌い継がれる」ものだと思う。

 

エンジンズで「平和に生きる権利」というハラの曲を歌うが、この曲は腹の底から出てくる音楽だというのが演奏していての実感だ。

 

心底の怒りがうねっている感じ。


この腰と腹からくるうねりは、少し日本の演歌にも似た感じがあるのかもしれない。

 

しかし単に良い音楽というくくりにしたくない。

その時代時代に翻弄されながらも、自分に誠実であった人たちの歌を、単に良い音楽というジャンル分けは侮辱のように思える。

 

70年代南米に原っぱに火が広がるように広がった音楽は一時的には消えたにせよ、その歌のうねりは海と世紀を超えて広がって行くのだろう。

 

ビクトル・ハラ

『平和に生きる権利_

メルセデス・ソーサ
Solo le Pido a Dios

プロフィール

 

1998年元々幼なじみであったTp西田とAcc 柳本がキング・クリムゾンのライブで再会したことがきっかけになり、柳本の大学の知人関係であった(Tp寺地・B高松・Vo川端・Tb今井B.Sax今井)及びGの辻野と西田の仕事仲間であったDrの山中が合流、本格的なバンド活動が始まる。

2002年第16回帝塚山音楽祭に応募したことがきっかけとなってあちこちの音楽祭イベント・ライブハウスなどに出演するようになる。

当初はR&Bやスカなどがレパートリーであったが徐々に変質化、「民族音楽としてのロックンロール」をテーマとして活動し行くようになる。

ギニアのポップス、東欧クレズマー、バルカンビート、演歌、ラテンポップ、フレンチロック、70年代歌謡曲などある種節操のない音楽傾向と相まって,後に参加するukuleleの中園、Vlの丸田らによってロックバンドとしては多人数の12人編成となり音楽的世界漫遊に深みを増している。

2009年Perc.にリカコが新加入し、これによりリズム隊がより強化された。

2017年第31回帝塚山音楽祭に連続16回連続出場を果たした。

2016年 新ボーカル あゆが参加。

2018年にリカコに代わりパーカッションにマイケルが参加、また同年アヤコがクラリネットに参加している。